2011年の読書(ノンフィクション)

昨年は小説よりもノンフィクションに当たりが多かったです。

ひとは自我の色眼鏡で世界を見る―認識の構造と限界

ひとは自我の色眼鏡で世界を見る―認識の構造と限界

タイトル書いして大当たりだった本。「何をもってわかったといえるのか」「そもそもわかるなんてことがあるのか」「自分でそれらしい答えを与えて解った気になってるだけの錯覚なんじゃないのか」という問い事態がもう錯覚なのかもしれなくて答えがない。でもわかりたい。結局カーニバル・デイのラストのように『理解しようと努力する』ことを続けるしかない。続けます。

「わかる」とはどういうことか―認識の脳科学 (ちくま新書)

「わかる」とはどういうことか―認識の脳科学 (ちくま新書)

タイトル通りの本。非常にわかりやすくかかれてて面白かったです。さらに疑い深い人は上の本に行くのがおすすめ。上の本を読んでも答えは書いてないけど。

大学教授のように小説を読む方法

大学教授のように小説を読む方法

深読みするための様々な道具とテクニックがてんこ盛りです。こんなに深読みしてもいいんだ!って気にさせてくれる本。ご利用は計画的に。

対象喪失―悲しむということ (中公新書 (557))

対象喪失―悲しむということ (中公新書 (557))

上3冊とはガラリと内容が変わるけど、これまで読んだ中で一番泣いた本です。喪失して悲しくなる対象がいる人向け(たとえそれが身近な人でなくても)。単に読んでた時期に情緒不安定だったわけではないと思う。思いたい。むしろ、悲しくなったことで普通の人間に近づけたことを実感できた。

以下はコメント略です。

記号論への招待 (岩波新書)

記号論への招待 (岩波新書)

書きたがる脳 言語と創造性の科学

書きたがる脳 言語と創造性の科学

偶然性と運命 (岩波新書)

偶然性と運命 (岩波新書)

フロイト全集〈8〉1905年―機知

フロイト全集〈8〉1905年―機知