「夜にはずっと深い夜を / 鳥居みゆき」妄想メモ

夜にはずっと深い夜を

夜にはずっと深い夜を

ネタバレあり。舞城王太郎の"好き好き大好き超愛してる。"と"暗闇の中の子供"を読んで以降、他の本が読み進められなくなる程この本について考えすぎてしまいました。"Self-Reference ENGINE / 円城塔"を読み始めたいのに…

メタフィクション経験が浅いこともあって頭の中がゴチャゴチャになってしまったので、一通り妄想したことについてメモしてみました。メモなので文章破綻は目を瞑ってください(元々まともな文章書いたことないけど)。考えないで感じてください。各編個別の感想妄想等はいつかこのメモと合わせて清書してまとめるつもりです。

『きれいなおかあさん』は「うえだゆり(以下ゆり)」が書いた作文の筈なのに、この作文中の最後で「ゆり」は「華子」に殺されている。死者が作文を書いている。この矛盾をどう解釈するか。とりあえず2通り思いついた。

[1]「ゆり」が化けて書いた、もしくはあの世で書いた。ファンタジーとして非現実的事象を許容するという解釈。実際に「華子」が黒百合の花言葉を連想して「ゆり」を殺してしまったバッドエンド。鳥居みゆきさんは地上波でちょくちょく見えないモノが見えている系ボケをするし、他の短編でもちょくちょく非現実的なことが起こってたので、自分も最近までこの読み方をしてました。ただ、バッドエンドではあるけれども、登場人物たちは皆それぞれ孤独を抱えつつも実はどこかで繋がっているんだよというベタなメッセージを含んだベタな連作短編集として読める。

[2]ここから先、牽強付会深読妄想大炸裂につき注意。「華子」の作中作(or虚構or嘘)。死んだ人が作文なんて書けるわけないんだから、この作文は「華子」自身が黒百合の花言葉に惑わされないように自分を戒めるため書いた作中作である、という解釈。この場合、「華子」は実際には「ゆり」を殺してはいない。一見ハッピーエンドのように見えるが、もし非現実を認めない方向で行くのなら、他の非現実的な事が起こっている短編も作中作としなければいけない(んじゃないかなと思った)。つまり、それぞれの短編について、作中作か否か、作中作であるならば作中作を書いたのは誰であるかを考える必要が出てくる(「暗闇の中で子供」から思いついた。正確には「華子」が書いたというスタート部分(?)だけが現実である必要があると思うだけど細かいことは置いとく)。こういうのをメタフィクションっていうんだよね多分。

[2-1]『華子の花言葉』は非現実的事象が起きてないので、仮にこの短編を現実とし、他の短編を「華子」の作中作とする(全部作中作にして、男と出会ってさえ居ないことにもできるけど)。すると、各作中作の登場人物は「華子」の孤独から生まれた妄想の産物となり、[1]で繋がっていたと思っていた全ての人間関係は、(みんなどこかで繋がっているんだなぁ)と思いたい「華子」の願望の産物となる。『シズカの真夜中ぶつぶつ』中の「結婚して、素敵なダンナとかわいい子どもと幸せに暮らしている」事や、元々「華子」が書いた書簡(手紙)である『永遠の誓い』中の結婚、妊娠までもが嘘である可能性も出てくる。ぜんぶウソ(鳥居さんレギュラー決定おめでとうございます)で、子供が欲しいという願望から、子どもを授かる『葉子』の物語を創造したという考え方ができる。まるで「みんな居るんだ僕一人じゃないんだと思ってたら実は全てが幻だったみょーちゃん軍団のみょーちゃん」状態。

[2-2]しかしここで更なる妄想。安部公房的な「関係の逆転」。「華子」が「葉子」を創造したのではなく、「葉子」が「華子」を創造したのでは?と思って考えたのが次のメタメタ解釈。『葉子』が現実で、他の短編は咲いた花を見た「葉子」の作中作。正確には、『華子の花言葉』が「葉子」の作中作で、『葉子』と『華子の花言葉』以外の短編は<葉子の作中の華子>の作中作、つまり作中作中作。いやなんで子供が出来てハッピーな筈の「葉子」が、最終的に子供を殺す文章を書くような「華子」を創造するの?とも思ったけど、よく考えたら「葉子」は心配症だったので辻褄が会わない事もない。

誰か続き頼む。今気付いたけど[3]「華子」を悩ませる「ゆり」のいたずらでした、ちゃんちゃん!というのもありえるのか。でも、僕くらい欲深いファンとしてはやっぱり[2]が一番妄想してて楽しい。他にもうまいことごちゃごちゃ弄ったら「全ては遺書だった(遺書のつもりで書いたという発言の意味が通る。)」「全ては想像上の地獄だった」とかできないかなぁ。できんか。[2-∞]作中で『カバのお医者さん』を書いてることが確定してる明日の来ない『明日香』を最後のパーツにすれば、"ドグラ・マグラ / 夢野久作"的無限ループに陥ったせいで明日が来なくなったという時間SFにもできそうな気がする。

追記。長々と妄想を書き連ねてきたけど、こんだけ妄想を重ねたあとだと、タイトルで何故「もっと」ではなく「ずっと」を用いたのかという違和感も意味が通る気がするんだよなぁ、つまり[0]「華子」と「ゆり」の関係に気付いてない状態を夜、[1]を深い夜と表現すると、[2-1]もっと深い夜[2-2]もっともっと深い夜[2-∞]ずっと深い夜と表現できる。更に、この本の仕組み(と俺が勘違いしてるだけかもしれんけど)自体が、鳥居さんに地上波での意外にベタベタ好きで言葉遊びが大好きな芸風と、地上波で見せない舞台の一人コントでのブラックで不条理でメタ大好きな芸風の二通りの楽しみ方があるのと似てる(気がする)。

追追記。未解決の謎。(1)なぜ字下げがされていないのか?一部のケータイ小説は字下げされてない(メール書く時一々字下げしないからという方向もありか)ので、ケータイで書いた形式の書簡体小説として無理矢理解釈する(「多重人格」キャラ設定とあわせると、「携帯で書きました」の発言が通ることにもなる)か、ネタ帳として解釈するか……。単純に詩っぽくしただけかもしれんしよくわからん。でも間違いなく何らかの意図がある気がする。舞城の作品を読むと、別にその辺をはっきりしなくても読み手が自由に解釈していいんじゃないかという気がしてくるので後回し。(2)赤ページが他の短編を無視して定期的に挟まれる理由。間隔ページ数が非常に気になるがそれはとりあえず脇に置いといて、ふと思いついたのはドグラ・マグラの「ブゥゥ———ン」。清書の時に書くつもりだったけど、寺山修司訳版"マザー・グース"の装丁のオマージュ?『蝉』自体がオマージュっぽいこともあるし、『シズカの真夜中ぶつぶつ』中の一部の言い回しも気になる。

追追追記。ふせきせんせいいんせきせつ。

追追追追記。[3]の「ゆり」が書いたという選択肢、一見「いたずらでした、ちゃんちゃん」に見えるけど、[X]「ゆり」が全部書いたこと、なんてことにすると悪戯が壮大過ぎて更に頭が痛くなる。ていうか、[Y]おかしくなってるのは精神科医である布施木先生だった!なんてこともできるし終わりが無い(本当におかしくなってるのは俺の頭)。この二つは自転車漕いでる時に思いついたんだけど、妄想しすぎてそのうち車に轢かれないか心配です。ここまでごちゃごちゃ妄想垂れ流してきたけど、[Z]これ鳥居さんが書いたんだよ、ちゃんちゃんと言われたらこの記事終了な気がしてきた。

追追追追追記(10/6、またもや自転車を漕ぎながらの、本で細部の確認をしてない妄想)。全ての人との繋がり(だと思っていたもの)を断ち切る方向にするためと簡略化のために、[2]では「華子」が書いた作中作の中の階層関係を全部考えないことにしてたけど、一部の短編は一つ上の階層の書き手が確定してるものがあるっぽいので、個別の感想を書く時に考えてみる(例:「カバのお医者さん」は「明日香」の直下?「いちゃつき心中」は「シズカの真夜中ぶつぶつ」の直下?等)。また、もしこの本をギャグラの「〜子」シリーズのように全ての登場人物に名前が設定されていると考えると、名前を持ち且つ何かを書く動機を持つ登場人物の数で階層を構築したほうがいい気がする。ただ、もしそうだとすると、「地獄の女」は同じライター業繋がりということで地獄を書き記すことにした「明日香」と同一人物にできなくもないけど、本で名前は設定されてないものの鳥居さんが演じたことのある「或るマッチ売りの少女」が誰かわからない。多分考えすぎなんだと思うけど解決方法ないかなー。

新たなる謎。今年のGETライブで演じられた「心配症2008」中で、P47の「生きてる内に壮絶な過去を書物にまとめて(略)」という部分が演じられていたかどうかを確認したい。もし演じられていなくてこの本で追記されたのであれば、物を書く動機は後付け設定ということになり、「名前を持ち且つ何かを書く動機を持つ登場人物の数で階層を構築」することに意味が出てくる。

10月13日発売の「本の雑誌 2009年11月号」に書評が載るので購入決定。内容紹介で「仕掛けたっぷり鳥居みゆき劇場にようこそ!アライユキコ」とあって、もしかしたら何かヒントがあるかもしれないので要チェックや!!!

追追追追追追記(10/9)。「犬」は鳥居さんの「神になりたい」発言から生まれた詩なのかとと思ったけど(さらにこじつけるなら神を見た犬)、上記のメタ構造を示唆してたのかも。あと、"九十九十九 / 舞城王太郎"が作中作中作タイプのメタ小説らしいので、ブックオフでゲットした"みんな元気"の次に読んでみようかと思います。

神を見た犬 (光文社古典新訳文庫)

神を見た犬 (光文社古典新訳文庫)

九十九十九 (講談社文庫)

九十九十九 (講談社文庫)

追追追追追追追記(10/13)。「のり子」の終盤の『隣りの家から異臭』『蟲が集る』『自殺』という展開から「雨と夢のあとに」の原作版を思い出したので再読中なのですが、作中の手紙が同タイプの字下げ無し形式だったので備忘録としてメモ。しかし原作暁子さんの狂いっぷりはなかなか怖い。私は私の内部に巣くっているあの夜を殺す。

雨と夢のあとに (角川文庫)

雨と夢のあとに (角川文庫)

追追追追追追追追記(11/3)。ハイタ#22を聞きなおしてて気付いたこと。


藤井:でもこれ、どんな、どんな感じですかこの本、内容は、小説?
鳥居:それは、読む人によって違うかもね
藤井:でも書きおろし小説って書いてある…
鳥居:あ、じゃあ小説だ…

トークの流れでは「読む人によって違うかもね」が「小説?」の回答になってるけど(ていうか、藤井さんが「小説?」のほうだと認識してそちらの流れになった)、もし「内容は、」への回答だとしたら……なんて都合の良い事を思いついたので3週間振りの追記。