狂宴封鎖的世界「再生」について、ふと思ったこと(2)

あの2時間の狂宴から既に3ヶ月以上経ち、あと1ヶ月ちょいでDVD発売日。だんだんと記憶が薄れてきてますが、「再生」の中で一番記憶に焼き付いてる「オープニング映像」について、少し気になってたことを考えてみました。ただ、今回の内容は自分語りが混じってるので、そういうのが苦手な人は注意。

映像中だけに出てきて舞台で一切出てこない「車に轢かれそうになった所を鳥居みゆきに救われる少年」に「鳥居みゆきに出会って救われた自分」を投影して、「少年」目線でライブを再生することを可とできる人は、ライブ中の事象の一部を現実世界での意味に固着できて結構面白いかもしれない。例えば「2時間のタイムリミット」は、「30後半までのタイムリミット(単独「再生」時点で残り2653日)」、「死と同時に新たな生を育む某行為」は、「土に還りたい」の真意に読めないこともないなぁという話。

同じことが小沢仁志扮する「刑事」にも言えるかもしれない。ただ、「もっと疑問を持って欲しい」という意図なのか、「分析したがり」なファンを想定したのかはわからないし、もちろん、そもそもこんな意図はないということもできる。でもどうせなら「鳥居みゆきの単独ライブに入り込む妄想走馬灯を見ながら死ぬ」位まで好きでいたいなぁとも思ったり。そんな「呪い」なら喜んで受けます。

あまり頭の中が整理できてないのでとりあえずここまで。