狂宴封鎖的世界「再生」について、ふと思ったこと(1)

を書く前に、twitterに投稿される文字数内でのネタバレを避けるため、ライブ内容とあまり関係ないことを一つ。鳥居みゆきのコント作品や発言だけでなく、舞城王太郎伊藤計劃の小説なんかを読む時でもそうなんだけど、自分の頭の中の映画データベースがほぼスッカラカンの状態であることが、作品を味わう上での楽しみ方を減らしてるのが悔しい。言葉として出てくる場合は調べることができるだけまだ助かってるんだけど(例えば舞城作品は丸ごと書かれてるタイトル、伊藤作品の場合は「ん?」と違和感を感じるセリフをググる等で大体解決。鳥居さんの場合も言葉として出てくる場合は同様。)、今回の単独ライブのようにオマージュ・パロディとして映像で出力された場合に全く太刀打ち出来ない。映画ネタに気づいてニヤニヤできるようになりたい欲が湧いてきた。つーわけでとりあえず「鉄男」から。

さて、今回の単独の内容を全然整理できてないまま気になったことが色々浮かんできたのですが、とりあえず一番気になった事だけメモ。それは生と死の描き方。鳥居さんの今までのコントの中で生死が発生するパターンとしては、(1)キャラが妊娠する妄想(実際には生が発生してない)(2)キャラが自身もしくは分身的存在を殺す(ハラキリ、腹話術)、殺してしまう妄想をする(ひきこもり)、殺そうとしたけど折り合いを付ける(みみずひめ)(3)女性キャラが男性キャラを殺す(木下さんシリーズ、レッカペ版キャラメル)等ですが、今回の単独ライブでは「男性人物が女性人物を殺る・犯る(かっぽれ含む、例のシーンに至っては殺る+犯るでプラマイゼロ)」という、男性からの行為による生死の発生を描いてるのが気になりました(例えば木下さんシリーズは犯られる前に殺ってた)。ただ例外として、密室(トミーの持つごみ袋の内容)や腹話術(答えは無いが妊娠が妄想・勘違いだったという描写がない)があります。これらのことが今回の単独のなかで何か意味を持つのか持たないのかはわかりませんが、最近自転車漕ぎながらこんなことばかり考えてます。トラックに轢かれないように気をつけます。